伝説の男・門田博光が振り返る「パ・リーグ」破天荒すぎた時代|芸タメ

2018年08月19日

伝説の男・門田博光が振り返る「パ・リーグ」破天荒すぎた時代

1: 名無しさん 2018年08月19日 07:00:00 ID:0.net

伝説の男・門田博光が振り返る「パ・リーグ」破天荒すぎた時代
(全11枚)

ノムさんが恐れた「三悪人」のひとりが登場!

二日酔いで猛打賞、生意気な小宮山をピッチャー返しでシメて、ブーマーとハイタッチして脱臼

王貞治、野村克也に次ぐ歴代3位となる通算567本のホームランをカッ飛ばした門田博光。フルスイングと生来の負けん気の強い性格で、40歳で本塁打王と打点王の2冠を獲得。「不惑の大砲」の壮絶な半生とグラウンド内外の伝説を振り返る!

かどた・ひろみつ’48年2月、山口県生まれ。奈良の天理高からクラレ岡山に進み、ドラフト2位で外野手として南海に入団。身長170cm、体重81kgの小柄な身体ながらフルスイングでホームランを量産。プロ23年間で打率.289、567本塁打、1678打点。本塁打王3回、打点王2回獲得。左投げ左打ち

1年目から強烈"口撃"
ノムさんとガチバトル


「オッサンには、よう小言を言われましたワ。『オマエは大振りし過ぎる』『ホームランなんて打たんでエエ。四球でもヒットでも、ワシの前に塁に出ること。それがオマエの仕事や』とね。入団当初、オレが3番を打ってあの人が4番を打っとった。オレがホームラン打ったら『打点が稼げなくなるから打つな』ということです。どこまでも自分が一番。そんなけったいな選手が、あの頃のパ・リーグ、特に関西の球団にはゴロゴロおりました」

「小さな巨人」「不惑の大砲」「ホークスの4番」――。’70年代〜’90年代に、そう呼ばれファンに愛された漢(おとこ)がいる。40歳で本塁打王と打点王の2冠を獲得し、南海、オリックス、ダイエーで23年間フルスイングにこだわり続けた御年70歳の門田博光である。門田が南海に入団したのは’70年。当時ホークスで選手兼監督をしていたのは、門田が「オッサン」と呼ぶ野村克也だ。江本孟紀、江夏豊とともに「指導に手こずった三悪人」に指名された門田だが、「オッサンこそ悪人だ」と失笑する。

ノムさんとのバトルに触れる前に、まずプロ入りまでのいきさつを振り返ろう。

「高校(奈良県の天理高)を卒業して入社したのは、『クラレ岡山』(岡山県)という繊維会社です。選手は夕方まで工場で働き、夜間に練習するんですが、当初からプロを目指していたのでこう宣言しました。『オレは仕事を習いにきたんじゃありません。何年かしたらここを辞めてプロに行くので、繊維のことは何も教えてもらわんで結構です』と。思い返しても生意気ですが、自分で『4年以内にプロに行けなければ野球を辞める』と決めとったんです。ただ当時のクラレはレベルが高く、1〜2年目は補欠でした。焦り始めたある時、チームメイトがこう言うたんです。『ホームラン打てるヤツは最初っから決まっとるんや』と。本人に悪気はなかったんでしょうが、この言葉にオレはカチンときた。『そんなん言うたらオレも打ったるワ』とね。それからは毎日、二日酔いだろうがヘドを吐こうが納得するまで寮の大鏡の前で何時間もバットを振り続けたんです。おかげで飛距離は徐々に伸び、3年目にはクリーンナップを任されるようになりました。それからですワ。常にフルスイングを意識するようになったのは」

本人がリミットと決めた4年目、門田はドラフト2位で南海に指名されプロ入りする。待ち受けていたのはノムさんの洗礼だ。

「春のキャンプで監督室に呼ばれ、『社会人とプロは違うか?』と聞かれました。『そうですね。アマチュアのほうがよう練習しますね』と答えると、オッサンの顔色が変わった。『練習熱心なんやのう。オマエの取り柄はなんや?』と、語気を強めて言うんです。オレは『ヒットならナンボでも打てます』と答えました。実際にホームランを打つにはパワーと技術がいるが、社会人時代の猛練習でヒットはいつでも打てるという自信がありましたから」

開幕直後から、門田は代打で起用された。1打席、2打席……門田は自身の言葉通りヒットを重ね5打席連続安打を記録する。記録は6打席目で途絶えた。すると、ノムさんから呼び出しがかかる。こんなやりとりがあった。

ノムさん「ナンボでも打てる」って言うたやろ。あれはウソか!

門田エッ⁉ずっと打ち続けなきゃあかんのですか?

ノムさん当たり前やろ。自分の言葉には百パーセント責任持たんかい!

「そこまで言われたら、こっちも『何ほざいとるんや、ボケ!』とカッとなります。確か7打席目は、ホームランやったんちゃうかな」

門田の本領はフルスイングでの豪快なホームラン。ノムさんからは「大振りはやめろ」とネチネチ注意されたが、2年目からレギュラーの座を摑んだ門田は無視して自分のスタイルを貫いた。ノムさんとの戦いに、突然終焉が訪れたのは’77年のこと。愛人問題でノムさんが監督を解任されたのだ。

「これで自分の思い通りのバッティングができると、気持ちがラクになりましたワ。ただ、オッサンが"口撃"し続けてくれたから、負けん気の強いオレががんばり続けられたのは間違いない。’80年8月に西武に移ったオッサンが前人未到の3000試合出場を果たした時、オレは試合前に『恩返しをしたい』と言うたんです。その記念試合でオレは、キャッチャーマスクをかぶったあの人の目の前で2打席連続の特大ホームランを打った。3打席目のバッターボックスに入ると、オッサンが『恩返しとはこのことか。もうエエやろ』とボヤいた。それで3打席目は、2塁打にしといたりました」

入団当初、プレイングマネージャーだったノムさん(左)から打撃指導を受ける
人一倍練習熱心で、腕立て伏せは毎日200回。1kgの重いバットを使いホームランを量産した

悲劇のアキレス腱断裂
復活本塁打に男泣き!


ノムさんがチームを去ってからも、門田は順調にキャリアを重ねる。しかし、好事魔多し。’79年の春のキャンプで練習中に右足のアキレス腱を断裂してしまい、この年をほぼ棒に振ってしまったのだ。

「翌年の開幕戦は日生球場での近鉄戦でした。当時の広瀬叔功(よしのり)監督からは『カドは(スタメンから)外すぞ』と言われたんやけど、オレは頭を下げてお願いした。『使ってください。この試合をオレにください』と。もしこの試合でダメやったら代打でも、二軍に落とされてもかまわへんという覚悟でした。6番指名打者で出場し、相手はエースの鈴木啓示。第1打席で3ボールになると、次は直球が来るとヤマをはった。来たのは案の定、真ん中への速球やった。フルスイングした打球は、逆転のホームラン……。嬉しかったね。試合後は最寄りの駅から自宅まで、涙をボロボロ流し大声で『これが〜オトコの美学〜♪』なんてメチャクチャな歌をうたいながら帰ったのを覚えています。『あー、これでオレも復活できたんや』と、感無量やったんです」

門田は酒を飲んでも豪快だ。

「あれは東京遠征した時やったと思うけど、漫画家の水島新司先生(南海の大ファン)と食事をしたんです。ついつい酒が進み、ビールにウィスキーとチャンポンして、泥酔してもうた。水島先生からは『おいおい、大丈夫かい。明日の試合でヒット2本は打ってくれなきゃ困るよ』と言われた。気が大きくなっていたオレは『2本⁉そんなんでエエんですか。3本は打ちますよ!』と調子のエエことを言うた記憶があります。翌日は日本ハムとのデーゲーム。二日酔いで、気持ち悪いやら吐き気がするやらで気分は最悪ですワ。でも酒が残っていたからか不思議と肩の力が抜け、フラフラになりながら3安打の猛打賞。水島先生との約束をなんとか守ることができホッとしましたが、試合後はすぐに宿舎に戻りバタンキューですワ」

熱い思いを試合にぶつけ続けた門田だが、いかんせんチームの人気がない。球場には、いつも閑古鳥が鳴いていた。

「観客席で寝とるヤツがおるわ、流しそうめんやっとる集団がおるわ、ムチャクチャでした。外野でイチャついとるアベックを見つけて『何しに来とんねん』と、そこに向けてホームランを打ち込んだこともあります。お客さんが少ないから、ヤジもよく響く。凡退すると『おう門田、根性入れて打てや!』なんていう罵声が飛んでくる。機嫌が悪い時は、こっちもムキになってヤジを飛ばしたサラリーマンに言い返します。『何が根性や。上司に叱られた腹いせに文句言うとるだけやろ。ボケ!』とね」

なかでも強烈だったのは、西鉄ライオンズのファンだったという。

「西鉄に勝とうもんなら大変やった。『おんどれら、なめくさりおって!』という怒号と一緒に、血の気の多いファンからセン抜きや石が飛んでくるんです。ある時、西鉄に勝ってベンチに帰ろうとすると、パラパラと小粒の硬いモノが降ってきた。首筋が切れて血まみれになり『なんやろ?』とよく見ると、一升ビンの割れた破片やったんです。ホームランを打った直後に外野の守備についたら、『なんばしよっと、門田!』とヤジがヒドかった。塀を乗り越えて、男のファンがグラウンドに入り込んで来たこともあります。オレに向かって突進してくるので、『刺される!』と思うて身構えました。すると『サインしてくれや!』と、色紙とペンをさし出してくるんです。拍子抜けしましたワ。審判はタイムをかけ、そのファンのために試合をわざわざ中断してくれた。オレはサインをして握手。その男が『ありがとな!』と言って塀を越え、観客席に戻ると試合再開です。おおらかな時代やったんですよ」

’70年7月、門田が入団した直後のロッテとの大乱闘。ロッテの濃人渉(のうにんわたる)監督が南海の選手に蹴りを入れている
’79年に右足アキレス腱を断裂。足に負担をかけないためにと翌年は全打席ホームラン狙いで41本塁打。2年後には44本塁打で本塁打王を獲得
ロッテ対南海戦が行われた、ガラガラの川崎球場で流しそうめん。中には焼き肉や麻雀をするファンもいた

内角攻めに怒りの報復
東尾の脚に打球直撃!


グラウンド内でも、ライバル投手との激しい攻防があった。阪急の山田久志、ロッテの村田兆治……。当時のパ・リーグには球史に名を残すような名投手が数多くいたのだ。

「西武の東尾修は、常に内角スレスレにビシビシ投げ込んでくるイヤらしいピッチャーやったね。オレも何度か当てられました。こっちも『お返ししたろう』と思って、東尾の太ももに打球を直撃させたことがあります」

鋭い打球を受け、東尾は「ギャッ!」と叫びその場に倒れ込む。東尾はなかなか起き上がれず試合が中断したため、門田はマウンドに行って声をかけた。

門田おいトンビ(「東尾」を音読みした愛称)、大丈夫か?

東尾何を言うてるんですか。バットのヘッドがボクのほうに向いてましたよ。狙う気満々やったじゃないですか。ホンマ、頼みますよ!

門田わかっとったか。

東尾わかりますよ。アタタタ……。

門田これでおあいこや。当てたらアカンぞ。

東尾わ、わかりました。

「それ以降、トンビがオレに当てたことは一度もありません」

門田が最も苦手としていたのが、阪急のエースでサブマリン投法の山田久志だ。

「オレのバッティングフォームはステップが広く、下からすくうような形になる。だからワンバウンドしそうな低目のボールでもホームランにできる反面、高目は苦手やったんです。山田の球は、アンダースローの地面スレスレからグ〜ンと浮き上がってくるから厄介でした。山田は年をとって、速球のスピードが落ちてからシンカーを覚えた。それでも、オレには絶対にシンカーを投げへんかったね。オレが低目を打つのがうまいとわかっとったからでしょう」

マサカリ投法のロッテ・村田兆治も門田を苦しめた投手の一人だ。

「あの独特のフォームを見るだけで憂うつやった。特にフォークは、低目を得意とするオレでも最初のうちはかすりもせんかった。どうやったら打てるやろうと、来る日も来る日も考えた。それで『次はフォーク』と読んだときは、めちゃくちゃ始動を遅くして上から思い切りシバくようにしました。バンカーショットを打つ感覚です。この打ち方やと、あれだけ苦しんだフォークを見事にホームランにできた。それ以来、村田はオレにフォークをほとんど投げへんようになったね。してやったりです」

味方にも豪傑はいた。オリックスに移籍した’89年9月のことだ。

「西宮球場でのダイエー戦でした。4点を追う3回裏に、反撃のホームランを打ったんです。笑顔でホームに戻ってくると、次の打者の身長2m、体重100?の大男ブーマーが高々と右手を上げて出迎えてくれた。オレも右手を上げてのハイタッチ。激痛が走ったのは次の瞬間やった。右肩が外れて脱臼してもうたんですワ。元々、脱臼癖があったんです。思わず『ア――ッ!』と叫んで、その場にうずくまってしまいました。すぐに病院に直行しましたが、医者は野球選手のケガを悪化させるのを恐れてか、肩に触ろうとしない。しびれを切らしたオレは『コラッ!オマエは医者やろ‼』と一喝して、自分で肩を元に戻したんです」

門田は相手がルーキーだろうと、闘争心を燃やした。’90年に史上最多の8球団から指名を受けた近鉄の野茂英雄には、生来の負けん気から「オレが最初にホームランを打ったる」と誓っていたという。

「野茂の投球ビデオを繰り返し見て研究しました。近所のゴルフ場で早朝からランニングを重ね、身体もしぼってな。開幕して野茂が最初に対戦したのは西武やった。『(西武のクリーンナップの)清原、秋山、デストラーデ、絶対に打つなよ』と祈っていました。その次がオレらオリックスやった。味方ではありましたが『(門田の前を打つ)松永、福良、ブーマー、打つなよ』とベンチから願っとった。願い通りに野茂からは誰もホームランを打てず、オレに打席が回ってきたんです。でも打席で見る野茂の剛速球は手元でホップするエグい軌道やった。トルネードでタイミングもとりづらく『こんなん打てんのか?』と思いましたが、速球一本にヤマをはってバットを一閃(いっせん)。するとライトへの大ホームランです。我ながら見事やったね。ちなみにオレの引退試合の相手投手も野茂で、速球をすべて空振りしての3球三振でした(笑)」

早稲田大からロッテに入団したクレバーな投手、小宮山悟も門田の洗礼を受けた一人だ。

「小宮山の記事を新聞で読んだら『大学もプロも一緒』なんて言うててね。生意気なコト言いおってと、腹が立った。ほなプロの打球を見せたろうやないかと思ってね。初対戦で思いきりピッチャー返ししたったんです。打球は小宮山の胸に当たり、レフトまで転がっていきました。『大丈夫か?』と声をかけましたが小宮山は無言。後で『もう(門田の)顔も見たくない』と話していたと、人づてに聞きました」

数々の伝説を残した門田がバットを置いたのは、’92年10月のことだ。フルスイングにこだわりつづけた漢の名刺には、今でも「本塁打一閃」という文字が刻まれている。

(文中敬称略)

’74年、高知県大方町で行われた春のキャンプでチームメイトとサウナに入り汗を流す
’88年の春のキャンプ。精神力を鍛えるために、広島県呉市の寺で早朝に座禅を組んだ
’89年9月に起きた悲劇。ブーマーとのハイタッチで脱臼し8試合の欠場を余儀なくされた
’92年10月に福岡の平和台球場で行われた引退試合。23年間で1万304回打席に立ち、2566本のヒットを放った

PHOTO:加藤慶

2: 名無しさん ID:df2a8526

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これは面白かった。大谷君は現代人でよかったとつくづく思った。こんなオッサンがいたらピッチャーライナーで殺される(・・;)

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3: 名無しさん ID:df2a8526

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今でも、一番凄い打者と、私は思っている。

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4: 名無しさん 2018年08月19日 08:02:00 ID:f1c36b95

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面白い記事でした。
門田さんは打者として研究熱心で努力家だったことを初めて知りました。
長く活躍できただけのことはあると思いました。

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5: 名無しさん 2018年08月19日 08:09:00 ID:9a555652

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この人は昔、野球中継の解説に来たときもひどかったなぁ。

実況アナウンサーがヨイショして門田の自慢話ばっかりやった。

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6: 名無しさん 2018年08月19日 08:10:00 ID:3a4a6433

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昭和の古き良き時代。近鉄の、パンチパーマに白スーツとか。この時代に大谷選手が現れていたら、実力を発揮できていただろうか。。

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7: 名無しさん 2018年08月19日 08:11:00 ID:c78cd55b

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170cm 80kg、特に体重は100近くあると思っていただけにウエイトトレもなく
大型選手がホームラン打者だった時代に
歴代3位のホームラン見事でした。
現代では吉田正尚選手が門田選手を彷彿させます。

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8: 名無しさん 2018年08月19日 08:19:00 ID:cbf0b74c

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もっと穏やかな優しいおじさんかなって思ってました

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9: 名無しさん 2018年08月19日 08:19:00 ID:cbf0b74c

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長いけどオモロイやん。
こんな生き方も豪快な小さな巨人はなかなかあらわれないやろうな。

最近は正尚くんのスイングとホームランが、ちょっとカドと被る。

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10: 名無しさん 2018年08月19日 08:31:00 ID:d800867c

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40過ぎてもホームラン王てのが凄かった

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11: 名無しさん 2018年08月19日 08:41:00 ID:a8d1c9a8

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>試合後は最寄りの駅から自宅まで

門田さんは電車通勤だったんですよね。
ものすごい数々のエピソードより、それが信じられない。

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12: 名無しさん 2018年08月19日 08:59:00 ID:5e08f5f8

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この人 テレビに出てる喋り口調が穏やかでいい人そうに言われてるが
実物はゲロゲロの俺様らしい。
ついでながら田尾も。

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13: 名無しさん 2018年08月19日 08:59:00 ID:5e08f5f8

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面白かった。

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14: 名無しさん 2018年08月19日 09:01:00 ID:bb99a045

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解説なんかのソフトな喋りからは想像つかないような破天荒ぶりだったらしいな。
元チームメイトの話も変なエピソードが多かったような。

朝から安モンの汚いスナックに行って無言で飲み続けて、そのままナイターで大活躍とか。

江夏が変人認定した1人だったよな。

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15: 名無しさん 2018年08月19日 09:02:00 ID:138ab5eb

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わがままな門田さんを使いこなせたノムさんはスゴい

よく練習してるのを知ってたらしいからね

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16: 名無しさん 2018年08月19日 09:04:00 ID:94423441

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やっぱり門さん面白い(#^.^#)

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17: 名無しさん 2018年08月19日 09:10:00 ID:ab9be459

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ファミスタではお世話になりました。

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18: 名無しさん 2018年08月19日 09:12:00 ID:0a753e2f

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こういう豪快な選手は出てこないかな?

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19: 名無しさん 2018年08月19日 09:13:00 ID:8b9e53e7

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SNSのない時代だからこそ、昭和のパリーグには破天荒なエピソードがたくさん。すべては新庄剛志の「これからはパリーグです!」宣言が、スマートでたくさんの観客がいるパリーグに変貌してしまった。ある意味良かったと思うが、ちょっと残念なところも。

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20: 名無しさん 2018年08月19日 09:13:14 ID:b28a5f6c

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子供の頃、南海の帽子被されとった。
人気のないパリーグやったから恥ずかしかった思い出。
後々気付いたわ、名選手の宝庫やったなと。
昭和の思い出すべてが懐かしいワイも40代です。

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21: 名無しさん 2018年08月19日 09:14:00 ID:8b309648

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ノムさんがホームランばかり狙う門田にヒットの重要性を教えるためにオールスターで王さんに説得するように頼んだ話。

南海がダイエーに買収されて福岡移転になる際に、選手生活晩年で転居するのが面倒だという理由で福本さん達の支援も有ってのオリックスへの温情移籍。

今や何やった?っていうデンマーク式ダイエット。

他にも色々有るよね

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22: 名無しさん 2018年08月19日 09:14:14 ID:7390f74c

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170cmでこれだけHR打つって凄いよね。
ライトへの豪快なHRが印象的だけど、コツコツ当てる流し打ちなんかくそ食らえで、振り遅れ気味でも構わずフルスイングするから、結構レフト方向にも打ってたと思う。
記事にもあるけど、底から湧き上がるようなアッパースイングで、今から思えばフライボールの走りだったのかもしれないね。
物静かなイメージあるから、こんなに豪傑だったとは意外でした。

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23: 名無しさん 2018年08月19日 09:14:14 ID:7390f74c

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昼サロで一発抜いてから球場入りしていた話も聞きたかった。

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24: 名無しさん 2018年08月19日 09:15:14 ID:6104ae94

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さすがに、プロの世界。
温厚なイメージだったけど激しいな。

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25: 名無しさん 2018年08月19日 09:17:00 ID:35edaf01

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ノムさんの門田評聞いてみたいな

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26: 名無しさん 2018年08月19日 09:24:00 ID:a0ad6ca1

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横浜Denaの倉本の新人の頃の打撃フォームが門田に少し似ていて、日本新薬の臨時コーチを少しやってたと知り納得した。

あの頃の南海ファンにとっては門田のホームランしか楽しみがなかった。

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27: 名無しさん 2018年08月19日 09:29:00 ID:2a5765a8

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江本、江夏、門田。誰も指導者には向いてないけど解説は聞いてて面白い。無茶苦茶でもやっぱり野球は真剣にやってたんだろうな。

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28: 名無しさん 2018年08月19日 09:32:00 ID:41c6c64e

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ファミスタの
もんた
よく打ったなぁ。

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29: 名無しさん 2018年08月19日 09:32:00 ID:41c6c64e

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昔のパ・リーグは確かにこんな感じでしたよね。あの観客の数で良く運営出来てたもんだと感心します。
当時は選手の年俸も安かったのかもしれませんが、それにしても今の各球場との観客の差は歴然で、良くこれまで観客が増えるほどになったものです。
これからも面白いパ・リーグでいてほしいですね。

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30: 名無しさん 2018年08月19日 09:35:14 ID:c9ea2944

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そういやー門田さんも引退後に、
監督、コーチしてないんじゃないかな?

あれだけの実績あったのに

もったいないね、

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31: 名無しさん 2018年08月19日 09:40:00 ID:873bdc7d

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時代だね〜面白い
残念なのは、当時のパリーグは全く注目されてなかった事だね

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32: 名無しさん 2018年08月19日 09:41:00 ID:37e242cd

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豪快というより、細かい事をチマチマ指摘する小煩いオッさんのイメージが強い。

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33: 名無しさん 2018年08月19日 09:41:14 ID:0aed2ffc

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だから監督のお呼びがなかったのかな
と理解した。

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34: 名無しさん 2018年08月19日 09:42:14 ID:42a6fb79

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大阪球場は狭かった。
両翼80メートルぐらいか。

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35: 名無しさん 2018年08月19日 09:42:14 ID:42a6fb79

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野村克也がいたから門田博光は大成出来たのかもしれないね。

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36: 名無しさん 2018年08月19日 09:43:00 ID:b4c8bb50

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まだ出来たての西武ライオンズファンだった私は、南海ホークス門田さんの豪快なスイングに魅了されていた1人です。

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37: 名無しさん 2018年08月19日 09:43:00 ID:b4c8bb50

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今後もこんな数字を残せる選手は出ないでしょうね

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38: 名無しさん 2018年08月19日 09:45:00 ID:7100a7c6

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ある意味でプロだよな

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39: 名無しさん 2018年08月19日 09:45:14 ID:0fc3b8f7

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面白い!最後まで読み入ってしまいました!
昔の選手は強烈ですね!

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40: 名無しさん 2018年08月19日 09:47:14 ID:7807ba4a

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この人の話面白くて好きです。

近鉄のブライアントが、何年か前にイベントで来日してその時のトークショーで、自分の見た中で一番凄かったバッターとして門田さんの名前を挙げてました。

山田久志さんは「門田さんからは一回も逃げたことがない。全部真っ向勝負した。これだけは自慢できる。」とはっきり明言してました。

こういう昭和の選手はもう出て来ないでしょうけど、昔のパリーグも面白かった。

もしタイムマシンがあって今から過去に行けるなら、西宮球場での阪急ー南海戦のスコアボードのスタメンの名前だけでビール5杯はいけると思う。

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41: 名無しさん 2018年08月19日 09:48:00 ID:284e24c4

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藤井寺より平和台の方がヤバいファン多かったのか

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42: 名無しさん 2018年08月19日 09:48:14 ID:bc7ebf95

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本当は
身長
168㎝なんだよね。

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43: 名無しさん 2018年08月19日 09:49:00 ID:85e0306c

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この頃のパリーグは、強いチーム弱いチーム関係なくどのチームにも、名物的な個性が強い選手が多くいて面白かった。
ただ、人気が無かったのは残念だった。

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44: 名無しさん 2018年08月19日 09:49:00 ID:85e0306c

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豪快で個性的で俺は大好きな選手だった。

本塁打は王さん、のむさんに続いて3位なのに、なんか世間的には地味というかあまり知られてないよなー。当時のパリーグの不人気を物語っているのか、残念だ。
山本さん落合さん清原さんは知らない人がいないのに。
門田というすごい選手がいたことを、若いプロ野球ファンに伝えることが、オールドプロ野球ファンの使命だと思う。

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45: 名無しさん 2018年08月19日 09:50:00 ID:c53ee9d4

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にこにこしていて優しそうなおじさんから気性の激しいおじさんにかわりました。

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46: 名無しさん 2018年08月19日 09:50:14 ID:3acd8a41

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この記事は中弛みもせずずっと最後まで面白く読めました

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47: 名無しさん 2018年08月19日 09:50:14 ID:3acd8a41

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わざと投手有利な
カウントに追い込まれて
相手のウイニングショット
得意球を狙ったと
ラジオで解説で言ってました

他にも、相手の球が速ければ
スイングスピードをそれ以上に
すれば良いだけの事との考え方で
そのための練習をしたと

今後、こんな選手、出て来そうに
無いですね。

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48: 名無しさん 2018年08月19日 09:52:00 ID:b07c73a8

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DH制がなかったら、かなり引退早かったかもね。

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49: 名無しさん 2018年08月19日 09:53:00 ID:3079d7f7

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良い記事でした。

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50: 名無しさん 2018年08月19日 09:55:00 ID:64881a8f

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この人の星野攻略ホームランはまさに芸術。

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51: 名無しさん 2018年08月19日 09:56:00 ID:6166f4f0

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懐かし〜昔は強烈な個性の選手ばっかしやったなぁ、特にパリーグ

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52: 名無しさん 2018年08月19日 09:56:14 ID:0b8343f8

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いやーオモロイ。身長170センチだったのに、本塁打量産。こんな選手はもう出ないのかな?西武の中村剛也がだいぶ近い気がするけど、門田の方がかなりオッサンって感じだったもんなぁ

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53: 名無しさん 2018年08月19日 09:57:00 ID:5529a3df

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ダイエーのユニフォームは似合わなかったね〜

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54: 名無しさん 2018年08月19日 09:57:14 ID:557e2e17

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カッコいいなぁ。当時のパリーグに興味を示さなかった自分に悔しい。

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55: 名無しさん 2018年08月19日 10:00:14 ID:8615ae8e

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あんまり性格良くなさそうだな
もっといい人かと勝手にイメージしてた(笑)
だからコーチとか監督とかになれないのかな?

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56: 名無しさん 2018年08月19日 10:02:14 ID:40556d27

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むっちゃおもろかった。
中村ノリ、自分は大嫌いだが、この時代の生まれならあそこまで叩かれなかったかも。

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57: 名無しさん 2018年08月19日 10:02:14 ID:40556d27

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今で例えるとオリックスの吉田選手が近いかな。

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58: 名無しさん 2018年08月19日 10:04:14 ID:830232cc

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昔のパリーグを代表する選手。豪快な話が面白すぎる!

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59: 名無しさん 2018年08月19日 10:06:14 ID:1897ec7f

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昔、土曜日の夕方4時ぐらいから1時間半ほど、パリーグ中継があったなぁ。お昼の吉本新喜劇とともに休日前の関西の小学校男子の憩いのひと時でした。昭和やなぁ。だけどやっぱり南海、近鉄、阪急ファンにならず、ずっと阪神ファンでしたけど。あと岡八郎とドリフが好きでした。コント55号はあまり人気無し。

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60: 名無しさん 2018年08月19日 10:07:14 ID:8e72e448

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昔の大阪球場の外野では阪神と巨人のラジオ中継流れてたなぁ。

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61: 名無しさん 2018年08月19日 10:08:14 ID:e92f8331

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好投手にむき出しの姿勢、いいですね。今なら福留選手かな。
スイングのフォロースルーが大きい選手でした。長尺バットではなかったかな。背の低い選手で長打打つ選手はスイングが違いますね。掛布さん、西武の森選手など。

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